立石発電所の建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:36 UTC 版)
矢作水力では、矢作川水系と分水嶺を挟んで向かい合う天竜川水系和知野川とその支流売木川に目をつけて1919年に水利権を申請していたが、その北方にある天竜川水系阿知川にても南信電力株式会社を通じて開発を図った。 この南信電力は「南信電気工業」の名で発起され、1917年(大正6年)3月に阿知川で最も有利な長野県下伊那郡三穂村大字立石(現・飯田市立石)に位置する立石地点の水利権を申請。1922年(大正11年)11月その水利権を得たことから、翌1923年(大正12年)5月18日に南信電力株式会社の設立に至った。資本金100万円のうち3分の1を矢作水力が出資し、工事の実施・設計も矢作水力に委任されるなど設立時から密接な関係を持った。その後合併の話がまとまり、1927年(昭和2年)10月1日付で合併が成立、「立石水力」の水利権も矢作水力に引き継がれた。なお合併に伴い矢作水力の資本金は90万円増加し1290万円となっている。 そして立石発電所は1930年(昭和5年)3月に運転開始に至った。発電所出力は5,400kW(1937年6月以降は6,000kW)。発電設備は日立製作所製のフランシス水車・発電機各2台で、送電線は上村発電所との間を連絡する77kV線が建設された。
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