穂積秀一とは? わかりやすく解説

穂積秀一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/23 07:02 UTC 版)

穂積 秀一
基本情報
階級 フライ級
身長 168cm
国籍 日本
誕生日 (1959-12-08) 1959年12月8日
出身地 群馬県邑楽郡
死没日 (2017-01-11) 2017年1月11日(57歳没)
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 34
勝ち 29
KO勝ち 8
敗け 5
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穂積 秀一(ほずみ しゅういち、1959年12月8日 - 2017年1月11日)は、日本プロボクサー群馬県邑楽郡出身。帝拳ボクシングジム所属、駒込高等学校卒業。

ライトフライ級フライ級で日本タイトル2階級制覇(フライ級史上最多6度防衛)、WBA世界フライ級王座に2度挑戦。

担任トレーナーは当初は小林弘、途中から桑田勇。現役時代はKKベストセラーズに勤務していた。

来歴

東邦ジム練習生としてアマチュアボクシングを経験(通算16戦8勝8敗)。

1977年11月30日、高校3年でプロデビュー。

1980年8月29日、日本ライトフライ級王者友利正に挑戦し、2-0の判定勝ちで王座を獲得した。その後、王座を返上した。

1980年11月23日、OPBF東洋太平洋フライ級王者楊弘洙に挑戦し、9回KO負けで王座獲得ならず。

1981年10月5日、日本フライ級王者玉城和昌に挑戦し、0-2の判定負けで王座獲得ならず。

1982年11月15日、日本フライ級王者船木一良に挑戦し、3-0の判定勝ちで日本2階級制覇に成功した。1983年2月4日、初防衛戦で船木と再戦し、判定勝ちで王座防衛に成功した。

1983年5月5日、23戦目で世界王座初挑戦。静岡県静岡市の静岡県産業展示場(現在の静岡産業支援センター)特設リングにて、WBA世界フライ級王者サントス・ラシアルに挑戦し、2回KO負けで世界王座獲得ならず。

その後、石井幸喜、風来ゆうと、打越芳幸、竹下鉄美、榊原隆史を相手に日本フライ級王座の防衛に成功(通算6度)し、2度目の世界王座挑戦前に日本王座を返上した。

1986年4月7日、山梨県韮崎市の韮崎市総合運動公園体育館にて、WBA世界フライ級王者イラリオ・サパタに挑戦し、0-3の判定負け。2度目の世界王座挑戦も失敗した。

1987年1月24日、韓国ソウル市での試合を最後に引退した。

2017年1月11日、癌のため死去[1]していたことがわかった。57歳だった。

獲得タイトル

脚注

  1. ^ ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ社)2017年3月号91頁参照

関連項目

外部リンク

前王者
友利正
第3代日本ライトフライ級王者

1980年8月29日 - 1980年9月(返上)

空位
次タイトル獲得者
伊波政春
前王者
船木一義
第31代日本フライ級王者

1982年11月15日 - 1985年12月(返上)

空位
次タイトル獲得者
西川浩二




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