税金の滞納問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:07 UTC 版)
崩壊しつつあった家庭、愛人との関係、結核の病状悪化、文壇への不信と対立で追い込まれていた太宰に追い打ちをかけたのが税金問題であった。太宰は執筆で得た原稿料や印税は全て自らが握り、妻の美知子はその都度太宰に必要な費用分を請求していた。1948年2月、太宰宅に税務署から昭和22年中の収入は21万円であり、所得税11万7000円を納めるように指示された通知書が届いた。 原稿料や印税はそのほとんどが飲食費や遊興費などに消費されており、太宰の手元にはまとまった金は無かった。また太田静子と生まれたばかりの治子に、毎月1万円の仕送りをする約束となっていた。太宰は事態に狼狽するばかりで自らが税務署との交渉を行おうとはせず、妻の美知子に全て押し付けた。美知子としても実際太宰がどのくらい原稿料や印税を得て、どのように消費したのかが全くわからないため対応に苦慮することになったが、結局税金問題の対応を引き受ける羽目になった。 1948年6月2日、自宅に国税庁の係員が太宰を尋ねてきたため、美知子は太宰行きつけの店に案内した。そこで太宰と国税庁の係員との間にどのような話が交わされたのかは全くわからない。太宰はその話し合いの10日余り後の6月13日に山崎富栄とともに心中することになる。
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