秋田藩の対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 05:41 UTC 版)
「亀田藩士秋田退散事件」の記事における「秋田藩の対応」の解説
秋田藩では巡見使の来藩が迫っていたこともあり、このままでは噂が世間に広がると対処に追われた。そこで、江戸では藩役人が亀田藩主の岩城隆恭に会い、藩主が直接退散した者へ帰参を命ずる措置をとるか、秋田藩主に正式に帰参を依頼する書面を届けるか、何らかの措置を至急取って欲しいとした。しかし、亀田藩家老が秋田藩を訪れた際には、対応について具体的相談に到らず、期待に反したものであった。 その後、何度かの役人の往来で、仙台藩への働きかけもあり、帰藩すれば騒動が起こるに到った最初までさかのぼって原因究明をし、その結論が出るまでは脱藩に対する処分はしばらく見送ることになった。これは脱藩家臣らの共通の願いででもあった。亀田藩だけによる脱藩者に対する処分は出来ず、帰国すれば亀田藩主から秋田藩主に何らかの相談があるはずで、穏便に謹慎するようにと命じ、それが受け入れられ脱藩者の説得が成功した。3重臣については、帰国させて処罰されればとりかえしがつかないことになるので、帰藩させずに秋田藩主から指示があるまで逗留させると亀田藩に連絡した。
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