秋田藩士 介河氏・介川氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/25 13:59 UTC 版)
介河氏 本姓は藤原氏。慶長7年(1602年)、隼人の代に常陸国より平鹿郡横手に住まい、道政の代に秋田城下に移り住むという。知行は45石。なお、「秋田武鑑」では道賢(七右衛門)との関係が不分明ながら介川通景(東馬)をこの家の出身としている。 系譜 介河将監―次郎右衛門一道満―次郎右衛門―和泉守―隼人―十兵衛―道政一道次―道賢 介川通長流 介川通長は慶長7年(1602年)、常陸国より秋田に移住するという。 系譜 介川通長一通央一通婚L―通意―木工右衛門通頼 介川通重流 介川通重は慶長7年(1602年)、常陸国より秋田に移住するという。 系譜 通重一通光一通古―清右衛門
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