秋田藩士 佐川氏とは? わかりやすく解説

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秋田藩士 佐川氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 14:02 UTC 版)

佐川氏」の記事における「秋田藩士 佐川氏」の解説

佐川蔵人佐川蔵人家房は、はじめ惣六といった。佐竹義宣に随い常陸国から秋田転封随行雄勝郡湯沢40石を給される系譜 佐川蔵人家房-七郎右衛門勝-蔵人家次-久兵衛家尚 佐川右衛門家次流 佐川右衛門家次は佐竹義宣秋田転封随行し雄勝郡湯沢に住むという。 系譜 佐川右衛門家次-源七家重-家定-伝十郎家昌 佐川新六郎佐川新六郎本姓藤原氏という。その子佐川五右衛門時家の代に常陸国から出羽国秋田下向平鹿郡横手住まう大坂従軍し30石を給される子孫には四兵衛時則、治部左衛門時昌がいる。 系譜 佐川新六郎-五右衛門時家-五右衛門時品-文七時職 佐川佐左衛門佐川佐左衛門本姓藤原氏とし、代々常陸国町屋に住むという。藤兵衛助章の代に秋田下向し、平鹿郡横手住まう大坂の陣従軍し足軽免許される。 系譜 佐川佐左衛門-藤兵衛助章 佐川與兵衛広宗佐川與兵衛広宗本姓藤原氏とし、佐竹義宣秋田転封に随い、秋田郡大館住まうその子 広定も父同様、秋田転封随行し国境勤め功労あり、30石を給される系譜 佐川與兵衛広宗-長吉広定-=與兵衛広武(弟) 佐川伊予助持流 佐川伊予助持は佐竹義宣秋田転封随行し平鹿郡横手住まい30石を多摩よる。その子 仁右衛門もともに常陸国より秋田移り足軽勤仕するという。 系譜 佐川伊予助持-助道-助康-助継-助行 佐川丹波守義郷流 佐竹家臣の佐川丹波守義郷の本姓源氏であるという。その家系清和天皇第六皇子 貞純親王王子 経基王遠祖仰ぎ経基王の子 源満仲の四男 頼信を祖とする河内源氏流れで、 頼信の孫 八幡太郎義家流れをくむという。伊勢国鈴鹿郡亀山郷佐川庄を本貫とするとされる。義郷は丹波守を名乗り太田郷住まい建武3年1336年)に佐竹義敦仕えて250石を給されるという。その子 義房は従五位下叙せられ、応永元年1394年)、多賀郡大野移り300石を食むとされ、妹は山部樫村若狭守の室となるという。義房の室は根本主水正の女であるといい、根本氏との間に子に義勝義成を儲(もう)けるという。義勝大和従五位下叙せられ、義成二郎大夫民部介を名乗るが、多賀にて勃発した花園山戦いにて防戦のさなかに討ち死にするという。義勝の子義直といい、監物、または左京亮名乗る佐竹氏秋田転封の際は老年にて本村土着するという。 系譜 佐川丹波守義郷-山城守義房-監物義房-大和義勝-兵庫正義廉-左京亮義直 その他 佐竹氏秋田転封記録した慶長国替記』に佐竹家臣の佐川氏として、佐川左衛門佐川五右衛門の名が見える。その他、佐竹氏記録として佐川伊予守久兵衛、刑左衛門、八右衛門与兵衛、理右衛門らの名が見られる家紋 丸に違い鷹の羽 家紋 丸に三つ柏 家紋 左三つ巴

※この「秋田藩士 佐川氏」の解説は、「佐川氏」の解説の一部です。
「秋田藩士 佐川氏」を含む「佐川氏」の記事については、「佐川氏」の概要を参照ください。

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