禅林寺 (三鷹市)
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禅林寺 | |
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![]() 山門 | |
所在地 | 東京都三鷹市下連雀4-18-20 |
位置 | 北緯35度41分39.5秒 東経139度33分35.7秒 / 北緯35.694306度 東経139.559917度座標: 北緯35度41分39.5秒 東経139度33分35.7秒 / 北緯35.694306度 東経139.559917度 |
山号 | 霊泉山[1] |
宗派 | 黄檗宗[1] |
開山 | 梅嶺道雪[2][注釈 1] |
開基 | 駒田孫右衛門[2] |
中興 | 賢州[1] |
公式サイト | 東京都三鷹市 霊泉山 禅林寺 公式ホームページ |
法人番号 | 8012405001663 |

禅林寺(ぜんりんじ)は、東京都三鷹市にある黄檗宗の寺院である。山号は霊泉山。
寺は三鷹駅の南方、三鷹市域のほぼ中央に位置し、境内には玉川上水に入水した太宰治の墓がある。墓は元あった寺院の被災により同寺に移転してきた森鷗外の墓の向かいに、鴎外を尊敬していた太宰自身の希望により建てられた。毎年誕生日(命日は6月13日)である6月19日には、太宰を偲んで桜桃忌が開かれる。
当寺域から北側は三鷹駅の北側まで境内と同じ幅で当寺の所有地が続くが、これは江戸幕府が割り当てたものである。
現在の住職は仏教学者の木村得玄。
歴史
江戸時代初期 明暦の大火によって移住させられてきた神田連雀町の町民が浄土真宗本願寺派の寺院として創建。
元禄13年(1770年)8月 台風で倒壊、黄檗宗の賢洲元養が再興。禅林寺に改名。
伽藍
- 弁天堂
- 十三塔 - 明暦大火の慰霊として
- 三鷹事件遭難者慰霊塔
文化財
墓
- 当寺を太宰の墓所に定める際は、檀家の猛烈な反対を慈悲深い当時の住職が説得したという[3]。
施設
- 宗派に関わらず利用可能な斎場である「第一霊泉斎場」・「第二霊泉斎場」を所有。
- 東京黄檗研究所が併設されている。
行事
- 6月19日 - 桜桃忌、太宰治の法要
- 7月9日- 鴎外忌、森鴎外の法要。毎年、太宰の桜桃忌の献花が枯れた頃に行われることで、文学好きの間では有名。鴎外ファンは、鴎外に献花するとともに彼を崇拝した太宰に敬意を表し、感謝を込めて太宰の墓にも新しい花を供える。
交通アクセス
注釈
脚注
出典
参考文献
- 「下連雀村 禅林寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ125多磨郡ノ37、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763995/64。
- “禅林寺について”. 禅林寺 公式ホームページ. 2021年3月1日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 禅林寺_(三鷹市)のページへのリンク