禅昌寺による三木氏と東美濃の遠山氏との関係とは? わかりやすく解説

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禅昌寺による三木氏と東美濃の遠山氏との関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 06:11 UTC 版)

禅昌寺 (下呂市)」の記事における「禅昌寺による三木氏と東美濃の遠山氏との関係」の解説

開山した明叔慶浚三木直頼義兄であり、明叔慶浚東美濃恵那郡遠山景前再興した大圓寺住持務めた関係で、三木直頼岩村遠山氏とも誼を通じた三木直頼禅昌寺宛てた手紙(禅昌寺文書)に記されている岩村遠山氏との関連内容以下のとおりである。 加尊書改年御慶珍重々々、於御祝言者更不可有休期候。抑従大圓寺御札両種拝領仕候。云々 正月十日 「一、岩村殿より昨日音信大魚十給候。御懇意之至候。然共悉くさり候間不用立候。無曲申事候。」 「一、濃州之儀如何御座候哉御無心元候。向雪中候條他国衆可為御太儀候。承度候。云々」 「一、瀬戸物ふちかけ自岩村到来候を、此の方皆々出し候處、一段重寶之由申候。云々 十月六日弘治2年(1556年)7月遠山景前死去大圓寺住持希菴玄密禅昌寺移り永禄元年(1558年)禅昌寺にて遠山景前三回忌法要行ったその時の香語は以下の通り岩村城遠山景前三年忌香語 這香感仏御風来 熱向一炉酬旧知 散却辟邪濫却敵 煙霏興衝溢坤維 三年景前忌抹香 宰木三悠忽移 遠山依田参差 国公不是干才 開露吹香七月三年一笛風 法界円融 塔影墓誰外 芙蓉初日紅 同塔婆」。

※この「禅昌寺による三木氏と東美濃の遠山氏との関係」の解説は、「禅昌寺 (下呂市)」の解説の一部です。
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