神戸電気鉄道デ201形電車
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神戸電気鉄道デ201形電車(こうべでんきてつどうデ201がたでんしゃ)は神戸電気鉄道[注釈 1](現・神戸電鉄)が過去に保有していた通勤形電車。戦後の混乱期に運輸省が制定した「私鉄郊外電車設計要項」に基いて1948年(昭和23年)に新製された運輸省規格型車両である[1]。
注釈
- ^ 本形式新製当時の会社名は神有三木電気鉄道であり、1949年(昭和24年)4月30日に神戸電気鉄道へ社名を変更している。
- ^ その新製も認可制(割り当て制)であり、鉄道会社各社が自由に車両を製造することは原則的に不可能であった。
- ^ 車体長15,000 mm、車体幅2,600 mm。
- ^ 乗務員扉は存置されたため側面外観に変化はなかった。
- ^ 貫通路が埋め込まれて非貫通化され、原形通りの正面形状となった。また同時に神戸寄りの運転台は撤去されている。
- ^ 1971年(昭和46年)3月4日15時頃、小野駅に停車中のデ213-デ212-デ206の3両編成回送列車が、運転士がブレーキを緩解した状態で降車したところ突然無人状態で暴走し、粟生駅構内に停車中であったデ1000形2両編成(デ1001-デ1002)に正面衝突した事故。衝突の弾みで押し出されたデ1000形編成がホーム上に乗り上げて待合室を全壊し、待合室の中にいた2名が負傷した。また、前述のように先頭車であったデ213が先頭部を大破した他、衝突されたデ1002は車体がくの字に折れ曲がるほど激しく損傷し、デ1001も連結面が大破するなど物的被害も甚大であった。[4]
- ^ 前述のように本系列は固定編成化が行われていたため、常時先頭に立っていた同車の有馬寄り正面の貫通路は不要であったことによる。
出典
- ^ a b 飯島・藤井・諸河 2002, p. 106.
- ^ a b 飯島・藤井・諸河 2002, p. 107.
- ^ a b 飯島・藤井・諸河 2002, p. 111.
- ^ 「トピックフォト--中部・関西・中国・関東・各地だより」『鉄道ピクトリアル』第21巻5号(通巻第250号)、鉄道図書刊行会、1971年5月、79頁。(写真掲載あり)
- 1 神戸電気鉄道デ201形電車とは
- 2 神戸電気鉄道デ201形電車の概要
- 3 登場に至る経緯
- 4 脚注
固有名詞の分類
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