神戸桟橋株式会社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/18 02:29 UTC 版)
北海道から帰った田中は将来の日本が外国と商取引をするには経済の中心地である大阪か、またはその近くに港を開かねばならぬと考えた。五代が日本でも桟橋をつくって貿易の便をはかりたいと考え、鴻池、住友、藤田とともに神戸桟橋会社を1884年(明治17年)11月に発足した。田中は1885年(明治19年)7月にその相談役となり、1893年(明治26年)に社長となった。1909年(明治42年)にいよいよ神戸港の建設にかかり、神戸桟橋も買い上げることにした。この買い上げは当時五十五万円といわれたが、田中は総理大臣桂太郎あてに手紙を出して、五万円つりあげ、六十万円で買い上げさせることに成功した。またその倉庫も三井に売却し、神戸の湊川の改修工事をもなし、新開地を繁華街としたのも田中の功績の1つであった。
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