神倉山の石段
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/13 06:49 UTC 版)
神倉山の石段 附 「下馬」標石は、神倉山山麓から山上境内へ続く石段、および神倉神社入口にかかる太鼓橋の傍らに立つ標石である。 石段は538段を算し、自然石(花崗岩)を組み合わせて築かれたもので、幅は平均約4メートル、高さと奥行きは一定ではないが、おおよそ高さ25センチメートル、奥行きは30から40センチメートルである。一般には建久4年(1193年)に源頼朝が寄進したと伝えられるが、わずかに『熊野年代記』の記事がその旨を伝えるに過ぎない。 「下馬」標石は寛文12年銘のあるもので、黒雲母花崗斑岩製、高さ1.59メートル、幅43センチメートル、厚さ17センチ、同じ材質で地上高26センチメートル、幅80センチメートルの台石上に立っている。刻銘によれば、奥州は南部志和郡の人物が、子孫繁栄を祈念して熊野参詣7度を達成したことを記念したものとあり、奥州の熊野信仰を今日に伝えている。
※この「神倉山の石段」の解説は、「神倉神社」の解説の一部です。
「神倉山の石段」を含む「神倉神社」の記事については、「神倉神社」の概要を参照ください。
- 神倉山の石段のページへのリンク