社会主義者狩り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 05:56 UTC 版)
「フランス第二共和政」の記事における「社会主義者狩り」の解説
六月蜂起の鎮圧後、暫定的に政治を担ったのが軍人カヴェニャックであった。カヴェニャックは「秩序の勝利」を謳い、国内反動派の秩序党と王政各国政府からの世界的賞賛を浴びたが、同時に第二共和政の死を早める存在となった。 カヴェニャックが最初に取り組んだのは蜂起の鎮圧と容疑者探しであった。 6月26日、蜂起の原因を究明する調査委員会が発足し、オルレアン派のオディロン・バロー(英語版)が委員長に就任した。委員会の目的はルイ・ブランやコーシディエール(英語版)など社会主義者を糾弾し、蜂起に関係していたとして責任を追及するとともに、支持を失わせることが目的となった。議会はバローの調査報告を受けて二人の社会主義者の問責を承認した。このときルドリュ・ロランはカヴェニャックと密約を結んで追及をかわした。言論の自由は否定され言論統制が進行、「労働の権利」が政府文書から消され、10時間労働制は廃止され、労働者の待遇改善など先進的な社会政策が否定されるようになった。蜂起に関わったとされた労働者のアルジェリア流刑が進められた。
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