社会主義ユーゴスラビア時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 04:24 UTC 版)
「ベオグラード」の記事における「社会主義ユーゴスラビア時代」の解説
第二次世界大戦後、ベオグラードは社会主義の連邦国家として再出発したユーゴスラビア連邦の首都として急速に発展し、主要な産業拠点となった。1958年、ベオグラードで初のテレビ放送が始まった。1961年、ヨシップ・ブロズ・ティトーを議長とし非同盟諸国首脳会議がベオグラードで開かれた。1968年、ティトー体制に反対する大規模な学生の抗議行動が起こり、路上で学生らと警官が衝突した。抗議は、ティトーの有名な言葉「学生たちは正しい!」を残して終わった。1972年3月、ベオグラードはヨーロッパを中心とした天然痘の流行(the last major outbreak of smallpox in Europe)の中心となり、検疫とワクチンの集団投与を通じ、5月末までに沈静化された。
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