砂漠の行軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/15 15:10 UTC 版)
ハメット・カラマンリを探し出し、約500名のキリスト教徒及びイスラム教徒による傭兵隊を組織したアメリカ海兵隊は、傭兵隊とともに星条旗を先頭にしてトリポリ側最大の根拠地であるトリポリへ向けて行軍を開始した。 この行軍は1000km近い距離の砂漠を越えるものであったが、当時の通常の隊商であれば2週間程度で踏破できるものであった。しかし、ユサフ・カラマンリに加担する各地域の族長による妨害の他、内部においてもキリスト教徒とイスラム教徒の対立に起因する傭兵同士の喧嘩や物資輸送に雇ったラクダ使い達のストライキなどのトラブルに遭い、プレスリー・オバノンは、これらのトラブルを解決しながら進んだため、砂漠を越えるのに45日間かかっている。 また、行軍にあたって隊長のプレスリー・オバノンが沿岸の経路を採ったことから、アメリカ軍地上部隊はアメリカ海軍による補給等の支援を随時受けることができ、本格的な戦闘に突入する直前の1805年4月25日まで、アメリカ海軍の艦艇から補給が行われた。
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