石田眞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/19 01:51 UTC 版)
石田 眞(いしだ まこと、1946年 - )は、日本の法学者。専門は労働法。早稲田大学名誉教授。法学博士(早稲田大学、1996年)。[要出典]東京都出身。弟子に、大木正俊(早稲田大学教授)らがいる。
略歴
- 早稲田大学第一法学部卒業
- 1977年 早稲田大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学
- 1977年 東京大学社会科学研究所助手
- 1982年 名古屋大学法学部助教授
- 1985年 名古屋大学教授
- 2001年 早稲田大学法学部教授
- 2004年 早稲田大学 大学院法務研究科教授
- 2010年~2014年、同法科大学院にて研究科長に就任
- 2017年 早稲田リーガルコモンズ法律事務所顧問
研究テーマ
- 企業組織と労働契約
- 作業関連疾患と労災補償
- 労働法のジェンダー分析
- 法と暴力
在外研究等
- ハーバード大学エンチン研究所 客員研究員
- ミシガン大学ロースクール 客員研究員
- ロンドン大学・高等法学研究所 客員研究員
- ウォーリック大学・法学部・客員講師
著書・論文等
- 『ロースクール演習労働法』(法学書院、2010年) ※共著
- 『労働六法 2015』(旬報社、2015年) ※共著
- 『近代雇用契約法の形成 イギリス雇用契約法史研究』(日本評論社、1994年)
- 「ILO「労働は商品ではない」原則の意味するもの」早稲田商学428号(2011年)
- 「雇用危機と労働者住宅」季刊労働法228号(2010年)
- 「労働契約論」(籾井常喜編『戦後労働法学説史』、旬報社)
- 「企業組織と労働契約」名古屋大学法政論集169号
- 「歴史の中の『企業組織と労働法』」(労働法97号)
- 「セクシュアル・ハラスメントによる退職と損害賠償」労働法律旬報1441号
- 「作業関連疾患」日本労働法学会編『講座・21世紀の労働法』第7巻、有斐閣
- Death and Suicide from Overwork : the Japanese
Workplace and Labour Law,in Joanne Conaghan, Michael Fischl, Karl Klare ed.,Labour Law in an Era of Globalization(Oxford Univ.Press)
所属学会
- 日本労働法学会
- 日本法社会学会
- 民主主義科学者協会法律部会
- Law and Society Association
- International Network on Trasformative Employment and Labor Law
脚注
外部リンク
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石田真
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/17 03:47 UTC 版)
基本情報 | |
---|---|
国籍 |
![]() |
出身地 | 栃木県安蘇郡田沼町(現:佐野市) |
生年月日 | 1954年5月30日(70歳) |
身長 体重 |
181 cm 86 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1972年 ドラフト1位 |
初出場 | 1974年6月25日 |
最終出場 | 1980年11月8日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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石田 真(いしだ まこと、1954年5月30日 - )は、栃木県安蘇郡田沼町(現:佐野市)[1]出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
人物・来歴
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足利工業高校 (足利工) では第54回高校野球選手権に出場し、2回戦で金本誠吉がいる中京高校に4-0で敗れた[1]。
中学2年から投手となり、一級品のスピードボールで作新学院から熱心に勧誘されたが、野球で身を立てる考えの無かった石田は専門的な技術を身につけようと足利工業に進学した。1年の夏から足利工のエースを務め、とてつもなくスピードのある右腕であった。1学年下であった作新学院の江川卓が当時「石田さんのような投手になりたい」と語った話がある。
石田は足利工の3年間でノーヒットノーランを5度記録し「北関東に石田あり」とプロのスカウトに注目された。184cm、81kgの恵まれた体格を生かした本格右腕だが、ヒジの使い方に課題を残すフォームであった。体全体の筋肉が硬い体質で肩と足の故障が多く、立ち上がりが悪い点も指摘されていた。得意球はカーブでコントロールは絶品であった。北関東の高校球界では鈴木孝政、江川卓とともに速球投手、三羽ガラスともいわれた。
1972年ドラフト会議で阪急ブレーブスが1位指名、契約金1千万円、年俸180万円でプロに身を投じた。1978年はウエスタン・リーグ最多勝率を獲得するなどファームではエースクラスの働きをするも、1軍では結果が出ず1980年引退[1]。
1973年のドラフトでは江川卓が阪急に1位指名されており、江川とは浅からずも何かと縁のあった石田であった。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1974 | 阪急 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 31 | 6.0 | 6 | 0 | 7 | 0 | 1 | 3 | 1 | 0 | 3 | 3 | 4.50 | 2.17 |
1980 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 3 | 1.0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.00 | |
通算:2年 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 34 | 7.0 | 6 | 0 | 7 | 0 | 1 | 3 | 1 | 0 | 3 | 3 | 3.86 | 1.86 |
記録
背番号
- 58(1973年 - 1980年)
- 81(1981年)
脚注
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 石田真 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
固有名詞の分類
- 石田 眞のページへのリンク