石渡こと
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/03 17:12 UTC 版)
「ハンセン病に関連した人物」の記事における「石渡こと」の解説
石渡こと(1874-1947)東京市で出生。1902年より光田健輔の「回春病室」の看護婦。光田をよく補助した。1909年全生病院首席看護婦、1924年初代看護婦長。全生病院では、 風呂場外科、という言葉もある。石渡婦長は、光田健輔と相談して、船のようなものに下に車がついていて、寝ながら入浴できるものを風呂場に持ち込んできてそれに患者を入れて体を洗ったという。 1936年退職。1947年没。男勝りで頑固な面もあったが、愛情深く、侠気なところもあり、また治療は光田直伝で評判がよかった。看護婦全体および、若い医師の面倒もみた。「神山復生病院120年の歩み」に2枚の写真と署名がでている。署名によると石渡こと(こは「古」をくずした字)と書いていた。また、林文雄は著書、天の墓標のなかで、特に1章を設け、「石渡婦長さんに感謝す」を設け、人となりを褒めている。彼女は自腹を切って人の食事の面倒をみられたという。
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