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石川忠治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/08 15:34 UTC 版)

石川 忠治
生誕 1872年7月7日
日本 山形県
死没 没年不明
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1894年 - 1923年
最終階級 陸軍少将
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石川 忠治(いしかわ ただはる、1872年7月7日明治5年6月2日[1] - 没年不明[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将功四級功三級[2]

経歴

山形県出身[1][2]1894年(明治27年)陸軍士官学校第5期卒業[1][2]

1916年大正5年)8月に大津連隊区司令官、1917年(大正6年)8月に陸軍歩兵大佐を経て、1918年(大正7年)6月に歩兵第42連隊長(第5師団、歩兵第21旅団)に任官[1][2]シベリア出兵に従軍した[1]

その後、1922年(大正11年)8月に陸軍少将に昇進と同時に待命、1923年(大正12年)3月に予備役に編入した[1][2]

退役後は山形信用組合長を務めるが[3]、偽造有価証券行使、横領により懲役2年、執行猶予4年の判決を受けた[4]。これにより従四位返上を命じられ[5]勲三等功三級及び明治二十七八年従軍記明治三十七八年従軍記章大正三年乃至九年戦役従軍記章戦捷記章大礼記念章(大正/昭和)を褫奪された[6]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[7]

栄典

著作

  • 石川忠治ほか『歩兵第二聯隊戦史 : 明治三十七、八戦役』歩兵第二聯隊、1907年。

脚注

  1. ^ a b c d e f g 『日本陸軍将官辞典』63頁。
  2. ^ a b c d e 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』118頁。
  3. ^ 『山形県警察史年表』138頁。
  4. ^ 『官報』第2903号「彙報」昭和11年9月3日。
  5. ^ 官報 1940年5月03日 一四三頁
  6. ^ 官報 1940年5月2日 九〇頁
  7. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」37頁。
  8. ^ 『官報』第3401号「叙任及辞令」1894年10月27日。
  9. ^ 『官報』第1292号「叙任及辞令」1916年11月21日。
  10. ^ 『官報』第2809号「叙任及辞令」1921年12月12日。

参考文献

  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 山形県警察史編さん委員会編集『山形県警察史年表』山形県警察本部、1973年。



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