石塚克彦とは? わかりやすく解説

石塚克彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/12 23:57 UTC 版)

いしづか かつひこ
石塚 克彦
生年月日 (1937-08-04) 1937年8月4日
没年月日 (2015-10-27) 2015年10月27日(78歳没)
出生地 日本栃木県那須烏山市
死没地 東京都小金井市
職業 演出家脚本家画家
ジャンル ミュージカル
所属劇団 ふるさときゃらばん
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石塚 克彦(いしづか かつひこ、1937年8月4日[1] - 2015年10月27日)は、日本の舞台演出家。本名同じ。画号は「烏山(うざん)」。武蔵野美術学校洋画科卒[1]日本劇作家協会会員。

来歴

古美術研究で奈良に遊学後、平城京発掘に参加。シナリオライター山形雄策に師事。劇団新制作座、統一劇場を経て、1983年、劇団ふるさときゃらばんを創立。脚本・演出・美術プランナーとして、第1作ミュージカル『親父と嫁さん』を上演、文化庁芸術祭賞を受賞[2]。1987年、第3回日本舞台芸術家組合賞を受賞。[1]

1991年、日米合作ミュージカルのメインライターとして「LABOR OF LOVE」を上演、日米両国ツアー、バルセロナオリンピック芸術祭に招聴される。文化放送との共催でミュージカル体験塾・演出。1994年、第1回全国棚田(千枚田)サミット、1999年-2006年、東京・日本橋三越での棚田展他をプロデュース。1999年、棚田学会を設立。棚田学会副会長。全国棚田(千枚田) 連絡協議会理事。2000年、東京芸術劇場ミュージカル月間にて最優秀賞を受賞。2003年、映画「走れ!ケッタマシン~ウェディング狂想曲~」で 初監督。[1]

2015年10月27日、心不全で死去した。[3]

主な作・演出作品

( )は公演期間

統一劇場時代

  • オモチャの青春(1972年 - )
  • お母さん
  • ふるさと山田洋次監督作品同胞 (映画)出演(1975年)
  • 兄んちゃん

カントリーミュージカル

  • 親父と嫁さん(1983年 - 1986年) - 1985年度文化庁芸術祭賞受賞
  • 兄んちゃん(1985年 - 1987年) - 1987年度文化庁芸術祭参加作品
  • ザ・結婚(1986年 - 1988年)
  • ムラは3・3・7拍子(1988年 - 1992年) - 初の47都道府県公演を達成
  • 男のロマン女のフマン(1993年 - 1995年)
  • パパは家族の用心棒(1996年 - 1998年) - 1997年第4回水産ジャーナリストの会年度賞受賞
  • 噂のファミリー 1億円の花婿(1999年 - 2001年) - 2000年第2回東京芸術劇場ミュージカル月間公演優秀賞
  • トランクロードのかぐや姫(2010年 - )

サラリーマンミュージカル

  • ユーAh!マイSUN社員(1990年) - 1990年度文化庁芸術祭参加
  • サラリーマンの金メダル(1992年 - 1993年) - 1992年度文化庁芸術祭参加
  • 裸になったサラリーマン(1996年) - 1996年第4回スポニチ文化芸術大賞グランプリ受賞
  • Oh!マイSUN社員(1997年 - 1998年) - 初の特設劇場FURUCARAシアター公演
  • パパの明日はわからない(2002年 - 2005年) - 2002年第14回池袋演劇祭大賞受賞

おとなとこどものファンタジーミュージカル

  • クマゴンの森(1993年 - 2000年)
  • 瓶ヶ森の河童(1999年 - 2002年)
  • 天狗のかくれ里(2003年 - 2006年)
  • 雲たか山の鬼(2008年 - 2010年)

パブリックミュージカル

  • リバーヘッド(2001年 - 2005年)
  • あしたくる風(2003年 - 2007年)
  • みちぶしん(2005年 - 2008年)
  • カントリーチャレンジャー(2005年)
  • ホープ・ランド(2008年 - 2010年)

スペクタクルイベント

  • LABOR OF LOVE(1991年 - 1992年) - 日本のミュージカル史上初の日米合作&ツアー作品、バルセロナオリンピック芸術祭参加作品
  • 川と人と橋のものがたり(1989年 - 1996年) - 1989年第6回日本イベント大賞最優秀企画賞受賞
  • 朝日村ファンタジー(1993年) - 信州博覧会イベント、上條恒彦との共演
  • ミュージカルとJAPAN食のイベント(1997年)
  • 駆けろ!架けろ!YATTOSEY!(1997年 - 98年) - 神戸-鳴門ルート全通記念事業
  • リバー・ピープル〜川とたたかう人々(2000年) - 白根市制40周年記念事業、大河津分水路通水80周年・関屋分水路通水30周年記念イベント
  • 20世紀から21世紀へ HOP STEP NAGOYA(2000年) - 年越しカウントダウンミュージカル
  • ホクトウの森(2001年、2003年) - 2001年うつくしま未来博ジャパンエキスポ大賞優秀賞受賞
  • みちぶしん(2003年 - )
  • われら地球族!(2005年) - 愛・地球博ウェルカム特別公演
  • どんどんどんどん(2005年) - 愛・地球博モリゾー・キッコロメッセ出展プログラム
  • 世界はまるい(2005年)

脚注

  1. ^ a b c d 石塚克彦を悼む” (PDF). 棚田学会通信 号外. 棚田学会 (2015年11月20日). 2016年3月2日閲覧。
  2. ^ 昭和60年度(第40回)芸術祭賞授賞一覧』(PDF)(プレスリリース)文化庁https://www.bunka.go.jp/seisaku/geijutsubunka/jutenshien/geijutsusai/pdf/s51_s60.pdf 
  3. ^ “石塚克彦さん 78歳=演出家、劇団「新生ふるきゃら」代表”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2015年10月31日). http://mainichi.jp/articles/20151031/ddm/041/060/149000c 

石塚 克彦(いしづか かつひこ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/17 14:34 UTC 版)

Dr.デュオ」の記事における「石塚 克彦(いしづか かつひこ)」の解説

ドクターカー乗る救命医トラック横転事故に出くわし、救命始めるもトンネル崩落二次災害により自分負傷タスクの手助けにより自ら治療しようとする。途中でショック状態陥るタスクによって助けられる

※この「石塚 克彦(いしづか かつひこ)」の解説は、「Dr.デュオ」の解説の一部です。
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