石井常次郎とは? わかりやすく解説

石井常次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/26 14:14 UTC 版)

石井常次郎

石井 常次郎(いしい つねじろう、1887年11月18日 - 1951年1月16日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍中将

経歴

大阪府出身。1910年(明治43年)4月、海軍機関学校(18期)を卒業。同年12月、海軍機関少尉任官。1916年(大正5年)12月、海軍大学校機関学生となり、1918年(大正7年)12月、戦艦日向分隊長に着任。機関学校教官兼監事を経て、1920年(大正9年)12月、機関少佐に昇進し舞鶴海軍工廠造機部員となる。

1923年(大正12年)4月、舞鶴要港部員となり、艦政本部員などを歴任し、1925年(大正14年)12月、機関中佐に進級。艦政本部出仕(米国出張)、艦政本部員などを経て、1930年(昭和5年)12月、機関大佐に昇進した。

1931年(昭和6年)11月、艦政本部総務部第3課長となり、兼海大教官、艦本総務部第4課長を歴任し、1936年(昭和11年)12月、海軍少将に進級し海軍燃料廠平壌鉱業部長に就任。

1937年(昭和12年)4月、燃料廠鉱業部長に就任し、艦本造船造兵監督長兼東京監理長、兼東京監査長を歴任し、1940年(昭和15年)11月、海軍中将に進み舞鶴工廠長となった。1941年(昭和16年)10月、軍令部出仕となり、同月、予備役に編入された。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]。墓所は多磨霊園

脚注

  1. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」19頁。

参考文献

  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。
  • 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第9巻、発売:第一法規出版、1995年。




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「石井常次郎」の関連用語

石井常次郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



石井常次郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの石井常次郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS