石井常忠とは? わかりやすく解説

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石井常忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/19 14:15 UTC 版)

 
石井 常忠
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正11年(1583年
別名 無双の荒武者(渾名)
戒名 宝積院殿妙珍日重大居士
墓所 佐賀県佐賀市 常照院
官位 刑部少輔官途名
主君 龍造寺家兼隆信
氏族 肥前石井氏藤原氏
父母 父:石井常延、母:蓮華院(小城黒尾氏)
兄弟 常忠陽泰院鍋島直茂室)、賢次、法性院(石井忠俊室)、幸佑院(杉町信房室)
石井忠次の娘
信易信忠常永、石井正国室、石井忠正室、石井四郎兵衛室
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石井 常忠(いしい つねただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将肥前国戦国大名龍造寺氏の重臣。龍造寺隆信の御馬廻衆をつとめた。佐賀藩鍋島直茂の義兄で、初代藩主勝茂の伯父にあたる。

経歴

肥前国佐嘉郡飯盛城主で、九州千葉氏や龍造寺氏の重臣をつとめた石井兵部少輔常延嫡男である。母は小城黒尾氏の娘(蓮華院)。は、父と同じく千葉氏の通字「常」を許されて「常忠」と名乗った。

後に佐賀藩祖となる鍋島直茂の正室陽泰院の実兄であり、常忠と直茂は義兄弟にあたる。

武道に秀で、主君龍造寺隆信の御馬廻衆を務めた。馬渡刑部少輔、倉町太郎五郎、石井源次郎と共に「無双の荒武者」と称され、戦場では、常に隆信の身辺を警護していた。

天正8年(1580年)には、既に隠居していたようであり、石井嫡男家(和泉守筋)嫡家の家督は、長男の大膳亮信易に譲っていたと考えられる。天正8年時点の龍造寺氏の分限帳には信易の名が登載され、常忠の名はみえていない。

天正11年(1583年)病死した。

参考文献

  • 『北肥戦誌(九州治乱記)』(青潮社刊)
  • 『石井系譜』(佐賀県立図書館所蔵)



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