真龍寺 (茨木市)とは? わかりやすく解説

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真龍寺 (茨木市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 14:25 UTC 版)

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真龍寺
所在地 大阪府茨木市東福井2丁目24-11
位置 北緯34度50分58.9秒 東経135度33分17.1秒 / 北緯34.849694度 東経135.554750度 / 34.849694; 135.554750座標: 北緯34度50分58.9秒 東経135度33分17.1秒 / 北緯34.849694度 東経135.554750度 / 34.849694; 135.554750
山号 麒麟山
院号 大膳院
宗旨 古義真言宗
宗派 高野山真言宗
本尊 釈迦如来
創建年 天平20年(748年)
開基 行基
正式名 麒麟山 真龍寺 大膳院
札所等 摂津国八十八ヶ所霊場 第51番札所
法人番号 5120905000061
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真龍寺(しんりゅうじ)は、大阪府茨木市東福井二丁目島下郡福井村東福井)にある高野山真言宗寺院

歴史

天平20年(748年)、聖武天皇勅願により行基役小角の旧地に建立したもので、弘仁年間(810年 - 823年)、空海の高弟真如法親王が大門、鐘楼、経堂など21坊を建立したという。今の本堂より南方に鳥居垣内、西に西ノ門や堂ノ上、護摩殿、門ノ下、門前、寺垣内などの地名があり、壮大な規模であったことを窺わせる。

応仁の乱(1467年)で焼失し、織田信長が寺禄を没収したので次第に衰えたといわれる。慶長年中(1596年 - 1615年)に現在地に移る。文禄年間(1592年 - 1596年)の検地帳には、新上坊了光坊桜木坊千蔵坊真東坊角坊中坊南坊泉蔵坊光明坊西坊東実坊の名がある。このうち光明坊通閑は福井上村弥勒菩薩を本尊とする無量寺を、また了光坊僧某は、福井下村大日寺を建てたが、いずれも神仏混淆の寺であったので、明治初年の神仏分離のときに共に廃寺となった[1]

また明治2年(1869年)1月、西福井新屋神社より薬師如来十二神将観音菩薩牛頭天王を移し、境内に地蔵堂・鎮守堂・西国観音堂を建て安置した。本堂は昭和47年(1972年)新築。

その他

D51 882

駐車場に、国鉄D51形蒸気機関車(D51882)が静態保存されている。

アクセス

脚注

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  1. ^ 天坊幸彦「三島郡の史跡と名勝」(1961年)(大阪府学務部編『大阪府史蹟名勝天然記念物』 三島郡(1974年)に収録 全国書誌番号:73009804

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