相州江の嶋とは? わかりやすく解説

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相州江の嶌

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/01 06:12 UTC 版)

『相州江の嶌』
作者葛飾北斎
製作年1830年天保元年)から1834年(天保5年)ごろ[1][注釈 1]
種類多色刷木版画
寸法25.5 cm × 37.5 cm (10.0 in × 14.8 in)

相州江の嶌」(そうしゅうえのしま)は、葛飾北斎名所浮世絵揃物『冨嶽三十六景』全46図中の1図[3]。落款は「前北斎為一筆」とある[4]

概要

本作品は湘南海岸の東端、相模湾の沖合に浮かぶ江の島とそこから見える富士山の景観を描いており、干潮を待って砂州を渡って江の島と片瀬海岸を行き来する人々が表現されている[5]。島を俯瞰するように江の島の密集した家並や検校杉山和一によって建立された三重塔が描き込まれており、定番の画題でありながらも北斎の独自性が発揮されている作品である[6]。島の入り口には本来燈籠ではなく文政4年(1821年)に再建された大鳥居が存在するはずだが、意図的に描かなかったのか、失念したのかについては判っていない[7]

左『冨嶽三十六景』「相州七里浜
中『柳の絲』「江島春望」
右題名不詳(江の島風景)

北斎の作品として江の島を画題とした作品は『冨嶽三十六景』「相州七里浜」をはじめ狂歌本『柳の絲』「江島春望」[注釈 2]や版画『江之島』[7]、題名不詳の江の島風景が描かれた版画[9]、『新板往来双六』の一図[10]など複数存在しているが、本作品以外の江の島は七里ヶ浜からの遠望の構図となっており、そういった意味では毛色の異なる作品と言える[7]。一方で江の島自体は江戸時代の最も人気が高かった観光スポットのひとつであり、奇を衒う画題を選定することを好む北斎としては、オーソドックスなテーマを取り扱った作品となっている[7][11]

脚注

注釈

  1. ^ 刊行年については柳亭種彦が出版した『正本製』に掲載された広告を根拠とする天保2年(1831年)に刊行したとする説、エドモン・ド・ゴンクールの著した『北斎』の記述を根拠とする文政6年(1823年)から文政12年(1829年)に刊行したとする説などもある[2]
  2. ^ 1797年刊行の狂歌絵本で、北斎や北尾重政らが挿図を寄せている[8]

出典

  1. ^ 北斎年譜”. 島根県立美術館の浮世絵コレクション. 島根県立美術館. 2022年9月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年9月3日閲覧。
  2. ^ 磯崎 2021, p. 124.
  3. ^ 日野原 2019, pp. 122–123.
  4. ^ 日野原 2019, p. 212.
  5. ^ 日野原 2019, p. 124.
  6. ^ 版画芸術 2024, p. 40.
  7. ^ a b c d 日野原 2019, p. 125.
  8. ^ 江島春望”. 文化遺産オンライン. 日本文化庁. 2024年7月31日閲覧。
  9. ^ 題名不詳(江の島風景)”. 電子博物館みゆネットふじさわ. 藤沢市生涯学習部郷土歴史課. 2024年7月31日閲覧。
  10. ^ 鎌倉 江ノ嶋 大山 新板往来双六”. 島根県立美術館の浮世絵コレクション. 島根県立美術館. 2024年7月31日閲覧。
  11. ^ 冨嶽三十六景《相州江の嶌》”. 文化遺産オンライン. 日本文化庁. 2024年7月31日閲覧。

参考文献




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