盧武鉉と鄭夢準の候補者一本化
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「2002年大韓民国大統領選挙」の記事における「盧武鉉と鄭夢準の候補者一本化」の解説
盧武鉉が民主党の大統領候補となった直後に行われた全国同時地方選挙で野党ハンナラ党が圧勝し、民主党は惨敗した。選挙直後に行われた各種世論調査で盧武鉉候補と民主党に対する支持率は大きく下落、李会昌候補とハンナラ党を大きく下回った。こうした結果を受け、党内では非主流派議員を中心に「予備選挙の再実施」や「候補者見直し」を求める声が挙がり始めた。2002年ワールドカップの立役者で国民から高い支持を得た鄭夢準議員が9月に立候補を表明すると、党内では鄭夢準への一本化を求めるグループが現れた。 鄭夢準は10月に新党「国民統合21」(以下、国民統合)を発足させ、選挙体制準備を整える一方で盧武鉉候補との候補者一本化交渉にも着手した。当時、支持率で李会昌候補を下回っていた盧武鉉候補側もこれを受け入れ、候補者一本化は世論調査によって行い、敗者が勝者側の選挙対策委員長を引き受けることで双方が合意した。11月25日に候補者一本化のための世論調査が実施され、盧武鉉候補が鄭夢準候補に勝利した。これを受け、盧武鉉候補は民主党と国民統合の統一候補として27日に中央選挙管理委員会へ候補者登録を行い、鄭夢準は両党共同選挙対策委員会の委員長に就いた。
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