盧武鉉政権で第36代国務総理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 16:11 UTC 版)
「李海瓚」の記事における「盧武鉉政権で第36代国務総理」の解説
2002年末の大統領選挙に向けた民主党内の予備選で大統領候補の座を盧武鉉らと争い敗れたが、盧武鉉の選挙企画本部長を務める。翌2003年、盧武鉉大統領の中国特使団長、ヨルリン・ウリ党の創党準備委員会の企画団長として活動した。ウリ党に籍を移した後、2004年6月30日から第36代国務総理(首相)になる。盧大統領の側近として、国政全般を仕切った。 2006年3月1日の鉄道ストライキによる交通混乱のために非常勤務体制の中、三一節の行事も欠席しゴルフに出かけ、さらにそのゴルフの参加者に違法政治資金提供者がいたことが報道され、3月5日に自ら辞意を表明した(正式な辞任は15日)。同年10月27日、大統領府の政務特別補佐官に就任、2007年3月には北朝鮮を訪問し金永南最高人民会議常任委員長と会談した。
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