発展する電気産業への参入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 01:20 UTC 版)
「フランク・スプレイグ」の記事における「発展する電気産業への参入」の解説
1883年、トーマス・エジソンの同僚のエドワード・ジョンソン(Edward H. Johnson)がスプレイグを、海軍を辞めてエジソンの研究所に来るように説得した。ニュージャージー州メンロパーク(Menlo Park)のエジソン研究所での彼の貢献の一つに、数学的手法の導入が挙げられる。彼が参加するまで、エジソンは費用の掛かる実験の試行錯誤をかなりの数で実施していた。スプレイグの方法では、数学を用いて最適な設定を計算し、不必要な繰り返し実験を大幅に省略することができた。また、エジソンが開発した中央変電所からの送配電システムの修正など、エジソンのために重要な貢献を行った。1884年、彼は電気の他の分野に関心を移し、スプレイグ電気鉄道・モーター会社(Sprague Electric Railway & Motor Company)を設立するためにエジソン研究所を離れた。 1886年までにスプレイグの会社は、固定ブラシで火花の出ない定速回転モーターと、電気モーターで駆動される装置から電力系統へ電力を返す回生技術という、2つの重要な発明を行った。彼の新しいモーターは、負荷の変動に関わらず定速で回転する初めてのものであった。このモーターは、エジソンに唯一の実用的な電気モーターであると保証され、直ちに普及した。また回生技術は、電気鉄道や電気式エレベーターの開発にとって重要なものであった。
※この「発展する電気産業への参入」の解説は、「フランク・スプレイグ」の解説の一部です。
「発展する電気産業への参入」を含む「フランク・スプレイグ」の記事については、「フランク・スプレイグ」の概要を参照ください。
- 発展する電気産業への参入のページへのリンク