疑似科学と政治姿勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 09:47 UTC 版)
「ジョン・W・キャンベル」の記事における「疑似科学と政治姿勢」の解説
1950年代になると、キャンベルは疑似科学的理論に傾倒するようになり、何人かの作家が距離を置くようになっていった。ニュートンの第3法則に反すると見られる「ディーンドライブ」や超能力を増幅するとされた「ヒエロニムスマシン」などを好意的に紹介するようになった。テレパシーなどの超能力を扱った作品を好んで掲載するようになった。ダウジングを信奉する発言も行っている。 1949年、キャンベルはダイアネティックスにも興味を持つようになった。彼は『アスタウンディング』誌に掲載したL・ロン・ハバードの最初の記事について「これまでに出版された最も重要な記事であることを絶対に保証する」と書いている。彼は自身もダイアネティックスの技法を使って成功したと主張した。 アシモフは「多くの作家はキャンベルに売り込むために疑似科学的な小説を書いたが、よい作家(私もその1人だが)は『アスタウンディング』誌から退却した」と書いている。また別のところでアシモフは「キャンベルは常識離れしたアイデアを好んだ。(中略)それを(私も含めて)多くの作家に強いて苦痛を与えたが、読者の好奇心をかきたてることは彼の義務だったとも言える。彼は一連の論説を書き始め(中略)中には極右的ともいえる社会的観点を擁護するものもあった(たとえば1968年の大統領選挙ではジョージ・ウォレスへの支持を表明している)。これについては苦言を呈する者が多かった」と書いている。 キャンベルが育てた作家の一人であるアーサー・C・クラークは、その自伝でキャンベルについて、「彼は晩年に近づくにつれて、ありとあらゆる(ひかえめに言っても)論争を呼ぶアイデア―ダイアネティックス、超心理学、反重力機械(〝ディーン駆動〟)、極端な政治的見解―に関与し、かつての示唆に富む編集後記は意味不明に近くなった。」と書いている。
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