町田市内への開発の進展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 09:08 UTC 版)
「多摩ニュータウン」の記事における「町田市内への開発の進展」の解説
「多摩境駅」および「小山ヶ丘」も参照 町田市内における多摩ニュータウン開発は、1990年代より「相原・小山土地区画整理事業」で行われた。この区域は西部地区のさらに西方に位置する。当初この区域は、新住宅市街地開発事業による開発が予定され、1965年にその都市計画決定を受けていた。しかし、この区域は多摩ニュータウン計画の中で「誘致施設用地」に位置づけられていたことから、当初の新住宅市街地開発法の枠内で業務施設の誘致を行うことは困難で、長らく開発は進まなかった。その後、新住宅市街地開発法の改正で誘致が可能になったが、地域開発に関わる時代背景の変化に伴い土地区画整理事業によって開発されることになった。 計画では多摩ニュータウン通りと尾根幹線道路に挟まれた東西にわたって「業務ゾーン」が設けられ、第1号進出企業となる小山ヶ丘2丁目の「サンリオディストリビューションセンター」をはじめ、2005年時点で約50社が進出している。 また、多摩ニュータウン通りの西側に位置する「研究住居複合地区」では、多くの大規模マンションが建てられたほか、サレジオ工業高等専門学校(旧・育英工業高等専門学校)が、2005年に杉並区から小山ヶ丘4丁目に移転している。 1990年3月30日、京王相模原線の南大沢駅 - 橋本駅間が開業し、翌年の1991年4月6日にはこの区域に多摩境駅が開業した。これをもって多摩ニュータウン内の全駅開業となった。そして多摩ニュータウンの人口は、1991年には15万人になった。
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