甲府勤務時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/25 22:31 UTC 版)
現在の山梨県立甲府第一高等学校の前身、県立山梨県第一中学校(1906年から山梨県立甲府中学校)は生徒の気性が荒く、同盟休校事件を起こすなど難物学校だったが、1898年着任の前校長 幣原坦によって再建された。幣原が1900年11月に転任した後は後任が決まっていなかったが、麻布中学校校長 江原素六による推薦、加藤知事の決断により、大島の校長赴任が決まった。 大島着任の際、生徒らは一斉に講堂の床を踏み鳴らして手荒い歓待を行なった。大島は 「静かにしろ、ヤマザルども ! 」 と一喝して静めたという。この 「山猿」 たちを、大島は紳士として育てようとした。校長自ら修身の授業を担当し、度々クラーク博士の逸話を生徒らに語って聞かせた。'Boys, be ambitious!' は山梨県立甲府第一高等学校の校是の一つとなっている。甲府で大島の薫陶を受けた者の中に、石橋湛山がいる。石橋は留年を繰り返したおかげで、奇しくも大島の教えを受けることができた、と後に述懐した。同校には石橋による 'Boys, be ambitious!' 碑が残る。 大島は生徒の目を世界に開かせるため、英語教育に注力した。野尻抱影は大島の長男 正満の中学時代の同級生で、正満の推挙により、甲府に英語教師として招かれた。野尻は後に大島の娘婿となっている。
※この「甲府勤務時代」の解説は、「大島正健」の解説の一部です。
「甲府勤務時代」を含む「大島正健」の記事については、「大島正健」の概要を参照ください。
- 甲府勤務時代のページへのリンク