田辺朔朗と三次郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 09:41 UTC 版)
三次郎が当地で暮らしていたころの、1896年(明治29年)8月21日、北海道庁鉄道建設部長として鉄道敷設調査を行っていた土木技師、田辺朔郎らの一行は、同地で泊地を探している途上で彼の小屋に一泊することとなった。三次郎は彼らの寝食の世話をし、風呂までこしらえるなどの歓待をしたとされる。 このため、1973年に国鉄北海道総局が発行した『北海道 駅名の起源』をはじめとし、田辺による三次郎への感謝の気持ちの表れ、として、同地に設置される駅の名称が「天幕」となったと紹介する文献もある。 その後、1933年(昭和8年)6月に田辺は開通4年後の石北線に乗車し、天幕駅を通過した際、三次郎を思い出し、恩返しをしたいと思い立ち、当時の遠軽駅長に「おそらく亡くなっているであろうが、もし遺族がいたらこれを届けてほしい」と香典を託した。その後、駅長は雄武で暮らしていたお花のもとへ香典を届け、お花は駅長の計らいで旭川駅に立ち寄った田辺と鉄道電話で三次郎の思い出話を交わしたという。
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