田原町立田原西部小学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 07:07 UTC 版)
「田原市立童浦小学校」の記事における「田原町立田原西部小学校」の解説
明治25年(1892年)に童浦村立第二尋常小学校として開校。前身となったのは田原北部小学校と同じ、波瀬村に開校した第10中学区第21番小学波瀬学校である。校地は現在の愛知県田原市白谷町谷津に存在し、跡地は白谷公民館となっている。 1892年(明治25年)10月 - 童浦村字白谷を校区とし、童浦村立第二尋常小学校として開校。 1900年(明治33年) - 校舎を新築する。 1904年(明治37年)4月 - 白谷尋常小学校に改称する。 1906年(明治39年)7月16日 - 田原町、相川村、童浦村、大久保村が合併し、田原町となる。 1907年(明治40年)1月 - 田原西部尋常小学校に改称する。 1941年(昭和16年)4月1日 - 田原西部国民学校に改称する。 1947年(昭和22年)4月1日 - 田原町立田原西部小学校に改称する。 1968年(昭和43年)4月1日 - 廃校。
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