田中陽翔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/05 03:16 UTC 版)
東京ヤクルトスワローズ #54 | |
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基本情報 | |
国籍 | ![]() |
出身地 | 東京都狛江市 |
生年月日 | 2006年6月25日(19歳) |
身長 体重 |
183 cm 88 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 2024年 ドラフト4位 |
初出場 | 2025年7月8日 |
年俸 | 550万円(2025年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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田中 陽翔(たなか はると、2006年6月25日 - )は、東京都狛江市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。父は千葉ロッテマリーンズと東京ヤクルトスワローズ投手の田中充[2][3]。
経歴
プロ入り前
小学時は武蔵府中リトルリーグでプレーした。6年時は東京ヤクルトスワローズジュニアでプレーした[4]。中学時は東練馬リトルシニアでプレーし、宮本慎也から指導を受け[5]、中学3年生の時に「3番・遊撃手」としてチームを全国大会準優勝に導いた。高崎健康福祉大学高崎高等学校に進学し、1年春からベンチ入り。3年時の第96回選抜高等学校野球大会では、「2番・遊撃手」で全試合に先発出場し、優勝に貢献。高校通算21本塁打の強打と強肩が高い評価を得た。
2024年、父親の反対を押し切りプロ志望届を提出し[6]、10月21日に開催されたドラフト会議にて、東京ヤクルトスワローズから4位指名を受けた[2][3]。11月29日、契約金3500万円、年俸550万円で入団に合意した(金額は推定)[1]。背番号は54[1]。担当スカウトは丸山泰嗣[7]。なお、この年のドラフトでは6名の元プロ野球選手の子息が志望届を出したが指名されたのは田中だけだった[8]。余談となるが、陽翔の父・充と担当スカウトの丸山は、共に2002年に千葉ロッテマリーンズに入団したドラフト同期[注 1]で、2004年5月27日にマリーンズとスワローズの間で行われた前田浩継との2対1の交換トレードにて、共にヤクルトスワローズ(当時)へ移籍した間柄である。
ヤクルト時代
2025年は、キャンプから二軍スタートとなり、しっかりと体力強化に励むと[9]、イースタン・リーグ公式戦で3月22日の対読売ジャイアンツ2回戦に「9番・遊撃手」として公式戦初出場・初先発するなど、7月7日時点で45試合出場、打率.268(138打数37安打)、1本塁打、14打点を記録し、7月8日に左膝半月板損傷の茂木栄五郎に代わり、同年の高卒新人選手で12球団第1号となる一軍昇格が告示され[10][11]。同日、対横浜DeNAベイスターズ11回戦にて8回一死から代打でプロ初出場を果たすも、見逃し三振[12]、翌9日の同12回戦も延長10回一死から代打で出場するも見逃し三振し、2打席連続見逃し三振という結果に終わった。また、2試合とも守備に就くことはなく、以降出場機会の無いまま7月14日に一軍登録を抹消された[13]。7月20日の「フレッシュオールスターゲーム2025」に2番・三塁手で先発出場し、3打数2安打1盗塁の活躍。9月30日に1軍へ再登録されると、10月1日の対横浜DeNAベイスターズ戦に8番・遊撃手で初先発出場するとプロ初安打初打点をマークした[14]。10月3日、対広島東洋カープ戦では、プロ初の猛打賞をマークした。高卒1年目の猛打賞は、球団では67年の奥柿幸雄以来、58年ぶりの快挙[15]。
人物
東京ヤクルトスワローズOBで元ヘッドコーチの宮本慎也とは東練馬リトルシニア時代の選手とコーチの間柄であり、自身がスワローズからドラフト指名された際には、宮本から「球道即人道」との文字が刺繍されたグローブが贈られた[5]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2025 | ヤクルト | 6 | 13 | 13 | 3 | 4 | 2 | 0 | 0 | 6 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .308 | .308 | .462 | .769 |
通算:1年 | 6 | 13 | 13 | 3 | 4 | 2 | 0 | 0 | 6 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .308 | .308 | .462 | .769 |
- 2025年度シーズン終了時
記録
初記録
- 初出場・初打席:2025年7月8日、対横浜DeNAベイスターズ11回戦(明治神宮野球場)、8回裏に松本健吾の代打で登場、ローワン・ウィックから見逃し三振[16]
- 初先発出場:2025年10月1日、対横浜DeNAベイスターズ25回戦(横浜スタジアム)、「8番・遊撃手」で先発出場
- 初安打・初打点:同上、2回表にトレバー・バウアーから右越2点適時二塁打
- 初猛打賞:2025年10月3日、対広島東洋カープ24回戦(マツダスタジアム)
背番号
- 54(2025年[1] - )
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d 「【ヤクルト】4位田中陽翔「いつか6番を付けられるように」目標は宮本慎也氏」『日刊スポーツ』2024年11月29日。2025年1月15日閲覧。
- ^ a b 「【ドラフト会議】父は元プロ左腕 健大高崎・田中陽翔 ヤクルトが4位指名 選抜V貢献、強肩強打の内野手」『Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2024年10月24日。2024年10月25日閲覧。
- ^ a b 「【ドラフト】清原親子よりも先に親子プロ野球選手誕生 通算79登板左腕の息子が父もプレーのヤクルトに4位指名」『スポーツ報知』報知新聞社、2024年10月24日。2024年10月24日閲覧。
- ^ 「東京ヤクルトスワローズジュニアチーム | 出場チーム | NPB12球団ジュニアトーナメント2018 supported by 日能研」『NPB.jp 日本野球機構』。2024年10月25日閲覧。
- ^ a b 「ヤクルトD4位・田中陽翔、宮本慎也氏から贈られたグラブを手に入寮「ワクワクしている」」『サンケイスポーツ』産経新聞社、2025年1月6日。2025年4月25日閲覧。
- ^ 野島広崇「元プロの父の反対を押し切りプロ志望→ヤクルト4位指名のルーキーは1年目の長岡を上回る好成績!苦しむチームの希望の星に」『高校野球ドットコム』2025年6月5日。2025年7月4日閲覧。
- ^ 「ヤクルト4位の健大高崎・田中陽翔は「滑り込みプロ志望」が成就 スカウト「3月から急成長」」『スポーツニッポン』2024年11月29日。2025年1月15日閲覧。
- ^ 「【ドラフト会議】元プロのジュニア明暗 指名は健大高崎・田中陽翔だけ 慶大・清原正吾は呼ばれず」『スポーツニッポン』2024年10月24日。2025年1月15日閲覧。
- ^ 「ヤクルトの春季“下剋上キャンプ”メンバー発表!新人3選手、期待の若手が次々抜擢!チーム巻き返しへ」『高校野球ドットコム』2025年1月26日。2025年7月28日閲覧。
- ^ 「【ヤクルト】ドラ4田中陽翔が1軍昇格 高卒新人で12球団一番乗り」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2025年7月8日。2025年7月11日閲覧。
- ^ 武田千怜「ヤクルト・田中陽翔 19歳ホープが1軍初昇格 高卒新人では12球団一番乗り」『サンケイスポーツ』産経新聞社、2025年7月8日。2025年7月11日閲覧。
- ^ 「【ヤクルト】高卒ドラ4田中陽翔が3球三振デビュー」『スポーツ報知』報知新聞社、2025年7月8日。2025年7月11日閲覧。
- ^ 「【14日の公示】日本ハムがザバラを登録 ヤクルトが田中陽翔、ロッテが負傷の岡大海を抹消」『サンケイスポーツ』産経新聞社、2025年7月14日。2025年7月15日閲覧。
- ^ “ヤクルトのドラ4・田中陽翔がプロ初安打初打点 バウアーから2点二塁打 健大高崎では3年春の選抜V - スポニチ Sponichi Annex 野球”. スポニチ Sponichi Annex. 2025年10月3日閲覧。
- ^ “ヤクルト 来季巻き返しへ若燕が躍動! 19歳の田中陽翔が球団高卒新人58年ぶり猛打賞 - スポニチ Sponichi Annex 野球”. スポニチ Sponichi Annex. 2025年10月3日閲覧。
- ^ 「ヤクルトD4位・田中陽翔、プロ初出場で三球三振「見たことのない球だった」」『サンスポ』2025年7月8日。2025年7月8日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 田中陽翔 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手名鑑 - 東京ヤクルトスワローズ公式サイト
- 選手情報 - 週刊ベースボールONLINE
- 田中陽翔のページへのリンク