生涯と学習
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/01 19:56 UTC 版)
アル・ファーラービーはほとんどをバグダードで過ごした。イブン・ウサイビアによって保存された自叙の一節で、アル・ファーラービーはユハンナー・ビン・ハイラーンの下で『分析論後書』などの論理学、医学、社会学を学んだ。すなわち、伝統的教程に従って、ポルピュリオスの『エイサゴーゲー』、アリストテレスの『カテゴリアイ』『命題論』『分析論前・後書』を学んでいった。彼の師であるユーハンナー・ビン・ハイラーンはアッシリア教会の聖職者であった。おそらくアル・ムクタディルの治世中にユーハンナーが没するまで、その期間は続いたとアル・マスウーディーは記録している。彼は少なくとも942年9月末まではバグダードにいたと、『有徳都市の住民がもつ見解の諸原理』で述べている。彼はその翌年に、つまり943年9月までにダマスカスでこの本を完成させた。彼はしばらくアレッポに住み、のちにエジプトを訪れ、『諸原理』の6セクションをまとめて948年7月-から949年6月に要約し、シリアに戻り、ハムダーン朝の支配者サイフ・ッダウラの支援を受けた。アル・ファーラービーは339回目のラジャブ月(950年12月14日から951年1月12日)にダマスカスで死去した、とアル・マスウーディーはこの出来事の5年後に書き記した。
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