琉球藩の設置から琉球処分まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/20 04:34 UTC 版)
「脱清人」の記事における「琉球藩の設置から琉球処分まで」の解説
日本政府が1872年に琉球藩を設置したことにより、琉球王国で支配階層の地位にあった一部の士族や、久米士族(久米村人、くにんだんちゅ、久米三十六姓と呼ばれる中国福建省系帰化人の末裔の一族で士分にあったもの)の中で、琉球王国の存続を危ぶみ、非合法のうちに「清国に脱出」して、宗主国である清国政府に「琉球救援」のための外交圧力などの措置を求める運動が起きた。 この動きは1879年の沖縄県発足以前から始まっており、1874年に派遣された琉球王国最後の進貢使でそのまま帰国せずに北京に留まった毛精長(国頭盛乗)や1876年に密使として派遣された向徳宏(幸地朝常)・林世功(名城春傍)らが代表的な人々である。
※この「琉球藩の設置から琉球処分まで」の解説は、「脱清人」の解説の一部です。
「琉球藩の設置から琉球処分まで」を含む「脱清人」の記事については、「脱清人」の概要を参照ください。
- 琉球藩の設置から琉球処分までのページへのリンク