獣の追跡
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1765年1月12日、ジャック・ポルトフェと6人の友人らが獣に立ち向かった。彼らは共に行動しながら獣を追い払った。彼らの奮闘がフランス王ルイ15世の興味を引き、王は少年たちに300リーヴルを与えた。また王は、オオカミ狩り専門家ジャン=シャルル・ダンヌヴァル(Jean-Charles-Marc-Antoine Vaumesle d'Enneval)と彼の息子ジャン=フランソワにオオカミの息の根を止めるよう命じた。王はジェヴォーダンの怪物の襲撃に個人的に興味を持っていたのである。 ダンヌヴァル父子がクレルモン=フェランに到着したのは1765年2月17日だった。彼らはオオカミ狩り用にトレーニングされた8頭のブラッドハウンド犬を連れてきた。父子は獣がオオカミであると信じていたため、彼らは数ヶ月間ヨーロッパオオカミを狩り続けた。しかしジェヴォーダンの獣の襲撃は止まず、1765年6月になって王の火縄銃運搬人で狩人の中尉、フランソワ・アントワーヌ(英語版)(別名アントワーヌ・ド・ボーテルヌ)と交替させられた。アントワーヌは6月22日にル・マルジュに到着した。 1765年9月20日、アントワーヌは体長1.7メートル、体高80センチ、体重60キロの巨大な灰色のオオカミを仕留めた。オオカミは近郊のアバイエ・ド・シャズで『シャズの獣』('Le Loup de Chazes')と呼ばれた。この動物は、オオカミとしては巨大だと地元で認められた。アントワーヌは次のように公式に宣言した。『我々はこの手で獣を仕留めたことを宣言する。これと比較される大きなオオカミをもはや見ることはない。さらに、この生き物が恐ろしい獣となって多大な被害を引き起こしたのはなぜか、我々は判断ができない。』 オオカミは剥製にされてヴェルサイユへ送られた。ヴェルサイユで英雄としてアントワーヌは迎えられ、称号や勲功、多額の褒賞金を受け取った。 しかし、1765年12月2日、獣は再びラ・ブッスイル・サン・マリーに現れ、2人の子供たちに瀕死の重傷を負わせた。その後も12人以上の死者が出たと伝えられた。
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