独立運動家としての成長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 09:44 UTC 版)
「シャフリル」の記事における「独立運動家としての成長」の解説
オランダ領東インド時代の西スマトラ、パダン・パンジャンに生まれる。ミナンカバウ族の出身。モハマッド・ハッタ(インドネシア共和国の初代副大統領)も同族の出身であり、その後各期において、シャフリルとハッタは「同志」的つながりを深めていくことになる。なお、シャフリルの父親は植民地政府の地方検察官だった。 北スマトラのメダンでヨーロッパ人小学校、および高等小学校に学び、オランダ語で教育を受ける。1926年、西ジャワ・バンドンの普通小学校に入学。1929年、オランダのアムステル大学法学部、ライデン大学に留学。同じく東インド各地からオランダに留学している「原住民」留学生たちが結成したインドネシア協会(Perhimpunan Indonesia)に参加するとともに、ヨーロッパの左派知識人らとの交流を深める。 オランダでの学業半ばにして1931年に東インドに帰国し、インドネシア国民教育協会(Pendidikan Nasional Indonesia)の議長に就任、その後に同じくオランダから帰国したハッタを新議長に迎えて、民族主義の啓蒙活動に取り組んだ。
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