犯人の行方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 15:41 UTC 版)
「レッグス・ダイアモンド」の記事における「犯人の行方」の解説
1970年代に、ピューリッツァー賞作家ウィリアム・ケネディが、民主党系政治ブローカーのダニエル・P・オコンネルの取材を通じて、オコンネルが指示してオールバニー警官2人が殺害したと主張した。オコンネルは半世紀以上にわたりオールバニーを支配した地元政界のドンで、当時レッグスの弁護士ダン・プライアーの引き合わせで何度かレッグスと面会した。レッグスがオールバニーの酒の利権に割り込もうとしているのを知って、早々にオールバニーを出ていくよう求め、「もしここに居座るつもりなら殺すだろう」と警告していたという。オコンネルはケネディの取材に対し、ウィリアム・フィッツパトリックという当時オールバニー警察の巡査を殺害実行犯の1人と名指しした。同巡査は1945年に同僚との喧嘩の末に射殺されており、名前を挙げられて傷つく人間はいなかった。オールバニーの酒の流通はオコンネルが支配していた。 最大の密輸ライバルだったシュルツの仕業とする見方が当初多かったが、マンハッタンから撤退していたレッグスを追いかけてまで殺すことがモチベーション的に弱く、オコンネル首謀説が一定の説得力を持って広がった。 未亡人となった妻アリスは1933年6月末に自宅で何者かに銃殺された。テーブルにコーヒーカップが3つあったことから、顔見知りの来訪者による犯行と見られた。弟エディ・ダイアモンドも1929年シュルツの襲撃が原因で死亡した。
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