父王の不例と王女の外遊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 23:06 UTC 版)
「エリザベス2世」の記事における「父王の不例と王女の外遊」の解説
即位以来、吃音や第二次世界大戦に直面し、ストレスの多かった父ジョージ6世の体調不良が、戦後顕著となっていった。 1948年5月、エリザベス王女は父王の名代として、初めて夫妻でフランスのパリを公式訪問し、「リリベットはパリを征服した」とまで言われるほどの大成功をおさめた。 1951年、ジョージ6世の肺がんが発覚し、極秘裏に手術が行われた。同年10月には父王の名代としてカナダ及び米国を訪問し、ハリー・S・トルーマン大統領を魅了した。10月25日の総選挙により、クレメント・アトリー労働党政権は退陣、保守党が政権奪還しチャーチルが首相に復帰した。 1952年1月31日、ジョージ6世は名代として英領ケニア植民地(英語版)(当時)経由でオセアニアに向かうエリザベス夫妻を、ヒースロー空港で見送った。前例のない異例の見送りだったが、エリザベス王女にとって父との今生の別れになる。
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