漂着朝鮮人の救助
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:26 UTC 版)
日韓友好交流公園「風の丘」は1819年赤碕沖に朝鮮商船が漂着し、漂着民を鳥取の人々が手厚くもてなしたエピソードを記念して赤碕町が3億9000万円の事業費をかけて建設した。 説明碑には元々「日本海」と韓国が主張する日本海の呼称「東海」の両方の名称があったが、田中満雄町長が2007年3月に町外の鳥取県民からの批判を受けて「東海」の文字を削除したところ、在日本大韓民国民団等から抗議を受ける事態になった。また、記念碑の推進をした中井勲元町長は、町民でないものの意志によってこのような改変が行われたこと等に対して公開質問状を出した。町は抗議を受け、どちらも表記しないという方向で決着を図ろうと試みたが、今度はこの対応に対して全国から批判の声が殺到した。町は外務省に判断を仰ぎ、「日本海」を現状どおり単独表記することに決定した。詳細は日本海呼称問題参照。
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