準永久欠番扱いの背番号
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 12:43 UTC 版)
「福岡ソフトバンクホークス」の記事における「準永久欠番扱いの背番号」の解説
南海時代以来、正式な永久欠番は存在しないとされるが、以下の背番号がそれに準じた扱いを受けている。 15:藤井将雄 「炎の中継ぎ」として活躍し1999年、当時のパ・リーグ最多ホールド記録を樹立。福岡移転後のリーグ初優勝および日本一の原動力となる。日本シリーズ中に胸部の痛みを訴え、入退院を繰り返しつつも復活を期して二軍で調整していたが、2000年10月13日、チームのV2を見届けたのち、肺癌のために逝去。享年31。 2001年以降、15番は欠番となっており2016年時点の報道で”半永久欠番”の記載がある。 89:王貞治 1995年から2008年までの14年間、ホークスの監督として指揮を執り3度のリーグ優勝と2度の日本一を成し遂げ(巨人監督時代を含むと4度のリーグ優勝)、ゼネラルマネージャーとしても球団に多大な功績を残した。球団は背番号89番を空けて将来の監督に与える方針を示していたが、王の後を継いだ秋山幸二が「恐れ多くも自分が背負うには重すぎる」と辞退。これにより球団は89番を欠番扱いとすることを表明した。
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