湯戸による支配
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/20 16:41 UTC 版)
江戸時代に幕府の直轄地(天領)となった熱海村では、大湯の周辺に引湯権を持った27軒の湯戸(ゆこ)と呼ばれる特権的な温泉宿が連なって湯治場が形成されており、大名・旗本用の本陣・脇本陣としては今井家の「一碧楼」と渡辺家の「一色亭」があった。本陣であった今井家の宿帳には、1629年(寛永6年)から幕末の1845年(弘化2年)までの200年余りの間に、全国の城主65名が来湯したと記録されている。また、明和から慶応までの約100年の間に、熱海(大湯)について書かれた代表的な紀行文だけでも36編存在するとされる。 こうして江戸時代に名声を高めた熱海温泉(大湯)は、「温泉番付」で行司役になるほどの知名度と特権的格付けを獲得した。 27軒の湯戸は、単に大湯の引湯権を持っているだけでなく、将軍に献湯を行う地域の名士として温泉場全体に支配的な力を持ち、熱海七湯の大湯以外の源泉付近にある宿屋に対して、内湯・二階建・縁のある畳を禁止させるなど、その営業を監視・制限してきた。
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