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港野喜代子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/08 15:22 UTC 版)

港野 喜代子 
(みなとの きよこ)
誕生 (1913-03-25) 1913年3月25日
日本 兵庫県神戸市
死没 (1976-04-15) 1976年4月15日(63歳没)
箕面市
墓地 舞鶴市
職業 詩人児童文学作家
言語 日本語
国籍 日本
最終学歴 大阪府立市岡高等女学校
ジャンル 児童文学
主な受賞歴 箕面市教育功労者賞(1974年)
活動期間 1940年代~
パートナー 港野藤吉
子供 4人
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港野 喜代子(みなとの きよこ、1913年3月25日 - 1976年4月15日)は兵庫県神戸市出身の詩人児童文学作家[1][2]

『日本未来派』『日本児童文学』『思想の科学』などを中心に詩や児童文学、エッセイを発表したほか、ながく大阪文学学校の講師を務めた。

来歴・人物

1913年(大正2年)3月25日、父坂本宗平、母くすの長女として兵庫県武庫郡須磨町に生まれる。父親は商船会社の司厨長だった。

1917年(大正6年)6月、妹幸子が生まれる。

1918年(大正7年)、大阪市西区に転居。

1919年(大正8年)、大阪市立三軒家第二尋常高等小学校に入学。

1923年(大正12年)9月、母くす死去。享年34歳。

1925年(大正14年)、大阪府立市岡高等女学校に入学。絵画クラブに入部。

1926年(昭和元年)、父が再婚し、大阪市港区へ転居。義母まつは下宿屋を営む。

1929年(昭和4年)、のちに詩人となる緒方昇が半年間下宿する。俳句を習い、「芹花女」のペンネームで海員組合機関紙に発表する。

1930年(昭和5年)、大阪府立市岡高等女学校を卒業。英文タイピストとして住友伸銅所に職を得る。後に夫となる港野藤吉を知る。

1932年(昭和7年)、住友伸銅所を退職し、鐘紡ショールームに勤める。藤吉との結婚について義母、親類と衝突。父とともに北区東野田町(現在の都島区)に転居。

1934年(昭和9年)1月、父宗平が脳溢血により死去。享年47歳。同年3月、港野藤吉と結婚。同年5月、兵庫県武庫郡本山村に移住。貿易会社に勤務する。

1935年(昭和10年)8月、長男 久衛誕生。この頃「婦人之友友の会」に入会し、羽仁もと子の精神を知る。

1937年(昭和12年)9月、長女 あゆ誕生。藤吉は住友伸銅所を退職し、大阪プレス製作所に勤める。

1940年(昭和15年)1月、次女 千穂誕生。

1942年(昭和17年)5月、次男 尚武誕生。

1945年(昭和20年)、夫の故郷である京都府加佐郡神崎村に移り、5年ほど疎開生活を送る。

1946年(昭和21年)、4人の子どもたちに宮沢賢治小川未明の童話を語り聞かせる。また自らも詩や童話の創作を始める。

1947年(昭和22年)、書き溜めた作品を緒方昇に送る。作品は『子ども詩の国』に投稿される。同年6月、小野十三郎菊岡久利池田克己、緒方昇らによって同人誌『日本未来派』が創刊される。

1948年(昭和23年)3月、池田克己、緒方昇の推薦で『日本未来派』の同人となる。以降、多くの作品を『日本未来派』に発表し、永瀬清子今西祐行丸木俊らとの交流が始まる。同年9月、冬木康の推薦で『炉』の同人となる。同年11月、今西祐行、鈴木隆、三輪隆と児童文学同人誌『ポプラ』を創刊する。

1950年(昭和25年)4月、疎開先から大阪に戻り、夫の勤務先である大阪市西成区の工場の2階に住む。

1954年(昭和29年)7月、新たに開設された大阪文学学校の講師となる。同年12月、岩本敏男上野瞭、鴫原一穂らと児童文学同人誌『馬車』を創刊する。

1959年(昭和34年)、舞鶴市立由良川中学校の校歌を作詞する。

1961年(昭和36年)、日本チェコスロバキア協会が発足し、理事となる。

1962年(昭和37年)6月、夫 藤吉死去。享年53歳。

1972年(昭和47年)9月、第一次訪ソ芸術文化交流団の団長としてソ連を訪問。各地で芸術家、文化人との交流をおこなう。

1974年(昭和49年)、箕面市教育功労者賞を受賞。

1976年(昭和51年)4月15日、自宅の風呂場で死亡しているのが発見される。死因は脳溢血による心臓麻痺。享年63歳。同年7月、『新文学』で「特集 港野喜代子―人と作品」が組まれる。

没後の1981年(昭和56年)、編集工房ノアより『港野喜代子選集』が刊行された[3]

著書

  • 『樹に登る少女』 1949
  • 『紙芝居』 爐書房 1952.8
  • 『魚のことば』 日本未来派発行所 1955
  • 『日本伝承の草花の遊び』 藤本浩之輔共著 創元社 1975
  • 『凍り絵』 編集工房ノア 1976
  • 『港野喜代子選集 : 詩・童話・エッセイ』 編集工房ノア 1981.9

脚注

  1. ^ コトバンク 港野 喜代子”. 2025年6月13日閲覧。
  2. ^ 日本児童文学学会(編集)『児童文学事典』東京書籍、1988年4月、728頁。ISBN 978-4487731916 
  3. ^ 永瀬清子、上野瞭(編集)『港野喜代子選集 : 詩・童話・エッセイ』編集工房ノア、1981年、714-728頁。 



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