港野喜代子
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港野 喜代子(みなとの きよこ、1913年3月25日 - 1976年4月15日)は兵庫県神戸市出身の詩人、児童文学作家[1][2]。
来歴・人物
兵庫県神戸市須磨区舞子[信頼性要検証]に生まれる。
1925年(大正14年)、大阪府立市岡高等女学校を卒業。
1934年(昭和9年)、機械設計技術者の港野藤吉と結婚。戦時中は夫の故郷である舞鶴に疎開する。
1948年(昭和23年)、詩誌「日本未来派」の同人となる。
1950年(昭和25年)、大阪に戻り、大阪文学学校の講師を務めながら、詩や児童文学を発表する。
1974年(昭和49年)、箕面市教育功労者賞を受賞。
1976年(昭和51年)4月15日、自宅の風呂場で死亡しているのが発見される。死因は脳溢血による心臓麻痺。享年63歳。
著書
- 『樹に登る少女』 1949
- 『紙芝居』爐書房 1952.8
- 『魚のことば』 日本未来派発行所 1955
- 『日本伝承の草花の遊び』藤本浩之輔共著 創元社 1975
- 『凍り絵』編集工房ノア 1976
- 『港野喜代子選集 : 詩・童話・エッセイ』編集工房ノア 1981.9
脚注
- ^ “コトバンク 港野 喜代子”. 2025年6月13日閲覧。
- ^ 日本児童文学学会(編集)『児童文学事典』東京書籍、1988年4月、728頁。ISBN 978-4487731916。
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