港の始まり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 07:38 UTC 版)
古代より神戸(かんべ)の外港として人や物の輸送に利用され、平安時代には伊勢平氏の水軍「古市の白児党」の根拠地となっていた。白児党の名は白布を身に付けて訓練に励んだことに由来するという。平凡社の『三重県の地名』によれば、古市とは白子の古名であるとされ、白児党が白子の語源であるという説もある。 室町時代には既に繁栄を築いていたことが分かっており、『山科家礼記』の文明12年11月15日(1480年11月16日)の記録には白子港を出入りする船から入港料金を徴収していたことを窺わせる「伊勢国栗真帆別津料」という文字が見いだせる。また度会郡大湊(現・三重県伊勢市大湊町)の入港記録『船々聚銭帳』には永禄8年(1565年)に白子から3隻の船が来港したと記されている。更に、本能寺の変に際して徳川家康が堺から三河へ脱出するにあたり、川南村の小川孫三の船で白子港から出港したとされている。ただし出港地については、若松(現・鈴鹿市若松町)や四日市などの異説もあり、家康ゆかりの地としてうまく宣伝できた白子が後に繁栄することに成功したと考えられている。
※この「港の始まり」の解説は、「白子港」の解説の一部です。
「港の始まり」を含む「白子港」の記事については、「白子港」の概要を参照ください。
- 港の始まりのページへのリンク