深川区の設置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 09:31 UTC 版)
1878年、郡区町村編制法施行に伴い東京15区の一つとして成立した区域に名称として採用された。この深川区は、現在の江東区のうち上記江戸の町地に該当する地域である。ついで1889年市制町村制施行によって横十間川より西側の地域全てが深川区になる(横十間川以東は南葛飾郡大島村に編入された)。これらはいずれも現在の江東区深川よりはるかに広い範囲である。極東は深川上大島町(現・大島)、極西は深川熊井町(現・永代)、極北は御船蔵前町(現・新大橋)、極南は洲崎弁天町(現・東陽) で、区内に90以上の町があった。 1945年3月10日の東京大空襲ではこの深川区に爆撃初弾が投下され、区内は焦土と化した。戦後1947年に城東区と合併し、現在の江東区となる。合併後は深川区役所庁舎がそのまま初代・江東区役所庁舎となるが、老朽化により1973年、東陽の新庁舎竣工により移転した。
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