海草の嶋か、嶋の海草か
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/09 14:02 UTC 版)
「第25回全国中等学校優勝野球大会」の記事における「海草の嶋か、嶋の海草か」の解説
海草中の嶋清一は、投手として1937年(昭和12年)第23回大会から春夏合わせて5回連続して甲子園に出場(計6回)のすえ、最終学年で優勝投手となった。それまでの嶋は速球、変化球(ドロップ)とも一級品で好投手とは呼ばれつつも、大事な場面で制球を乱したりするなど安定感に欠けるところがあった。しかし、心機一転猛練習を重ねて臨んだこの大会では素晴らしい投球を見せた。 1回戦の嘉義中戦は、3安打15奪三振完封。 2回戦の京都商戦は、2安打8奪三振完封。 準々決勝の米子中戦は、全員奪三振まであとひとり、という快投で3安打9奪三振完封。 準決勝の島田商戦は、4四球17奪三振で無安打無得点試合。 決勝の下関商戦は、2四球8奪三振で無安打無得点試合。 嶋が作った大会記録は、 45回連続無失点 5試合連続完封 2試合連続無安打無得点試合 決勝戦無安打無得点試合 というものであった。後に45回連続無失点と5試合連続完封は第30回大会で福嶋一雄(小倉)が、決勝戦無安打無得点試合は第80回大会で松坂大輔(横浜)が記録したが、2試合連続無安打無得点試合は唯一の記録である。 この偉業をたたえる意味を込め、「海草の嶋か、嶋の海草か」と言われた。
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