浅海吉右衛門と丸吉講とは? わかりやすく解説

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浅海吉右衛門と丸吉講

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 03:42 UTC 版)

丸吉講」の記事における「浅海吉右衛門と丸吉講」の解説

この地区に残る「丸吉大行之巻」によれば天保2年1831年)、新座郡片山村在住浅海右衛門富士登山三十三度大願成就しようと甲州都留郡下暮地(現・山梨県南都留郡西桂町)に宿泊していたところ、名主神主来て自分たちの村内雲霧晴れることもなく狩人すら登らない三峠という山があるが、富士先達の力で三峠を開いてほしいと懇願された。これを引き受けた右衛門は、先ず富士山参拝し三十三度登山大願成就した後、帰路同行衆別れて下暮地名主宅に一泊する同年7月6日朝、吉右衛門一人でこの峠に登ると、そこにあった石尊大権現はじめ二柱祀った古宮籠もり21日開山祈願経文唱え続けた7月27日朝、それまで暗く淀んでいた雲霧きれいに晴れ渡り下山した吉右衛門迎えて村人驚喜開山祝ったという。 この後浅海右衛門片山村帰り神祇から「浅海大和守」の官位称号授かった。この片山先達霊力の不思議近在知れ渡り病気災難逃れるための祈祷廻ったことで、行く先々丸吉講社が生まれた2年後天保4年1833年)には、入間多摩・豊島・新座4郡に加入戸数4,000軒を数えたという。

※この「浅海吉右衛門と丸吉講」の解説は、「丸吉講」の解説の一部です。
「浅海吉右衛門と丸吉講」を含む「丸吉講」の記事については、「丸吉講」の概要を参照ください。

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