浄水場建設反対運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/04 08:34 UTC 版)
浄水場建設計画を知らされた羽村町は建設予定地が1965年(昭和40年)5月に国鉄青梅線小作駅から徒歩3分の距離にあり、将来は駅周辺の住居・商業地として有利であり、周辺の昭島市や青梅市と合併をするにしても中心地となり得ること、将来の都市計画の一環として『福生都市計画羽村小作台土地区画整理事業』が予定されている事を理由にして浄水場建設に猛反対した。1966年(昭和41年)4月25日付の朝日新聞記事によれば小作浄水場予定地払下げ申請が提出されていたという。これに対し1965年(昭和40年)10月20日に東京都水道局は当地に建設しなければならない利点を挙げて回答している。その後、再度の折衝と、新都市建設公社の『羽村福生地区土地区画整理事業』申請により、羽村町とは建設合意に至る。
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