浄土寺浄土堂阿弥陀如来及両脇侍立像(兵庫県小野市、国宝)
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浄土門の信者であった快慶(安阿弥陀仏)が重源のために造った丈六阿弥陀仏と脇侍像で、重源の意図する宋風を具現化するために宋画にもとづいて造られた。寄木造で漆箔が施されている。浄土寺は東大寺再興のための播磨別所であった。夕日を後光のように背負うかたちで金色の巨像が湧雲の上に立つ姿は、西方浄土から阿弥陀三尊が立ち姿で来迎する場面を表現しており、きわめて荘厳な効果をあげている。快慶は、ここにおいて「安阿弥様」と称される独自の様式を完成し、従来の漆箔とは異なる金色相の表現を思い切って取り入れた。この西方の夕日を後光に見立て取り入れる手法は、時を経て平成時代に入り、安藤忠雄により1991年に竣工した兵庫県淡路市にある真言宗御室派の別格本山である本福寺本堂の水御堂に踏襲された。
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