津田辰参とは? わかりやすく解説

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津田辰参

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/15 13:24 UTC 版)

津田 辰参
生誕 1886年4月1日
日本 熊本県
死没 (1965-10-13) 1965年10月13日(79歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1907年 - 1940年
1941年 - 1945年
最終階級 陸軍少将
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津田 辰参(つだ ときかず[1]1886年明治19年)4月1日[2] - 1965年昭和40年)10月13日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功三級[1]

経歴

1886年(明治19年)に熊本県で生まれた[2]陸軍士官学校第19期卒業[1]1936年(昭和11年)5月6日歩兵第49連隊留守隊長に就任し[1]8月1日陸軍歩兵大佐に進級した[1]1937年(昭和12年)9月に歩兵第149連隊長(上海派遣軍第101師団・歩兵第101旅団)に転じ[1]日中戦争に出動[2]上海戦では郊外のクリークでの大激戦を戦い[2]武漢攻略戦では九江廬山での激戦を制した[2]南昌作戦では第11軍主力として出動し[2]修水渡河作戦で戦果を収めた[2]

1939年(昭和14年)8月1日に陸軍少将に進級と同時に留守第6師団司令部附となり[1][2]1940年(昭和15年)3月9日に待命[1]3月30日予備役に編入された[1]1941年(昭和16年)3月1日に召集され、教育総監部附となり[2]1945年(昭和20年)3月31日熊本連隊区司令官兼熊本地区司令官に就任した[3]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]

栄典

勲章等

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 外山 1981, 251頁.
  2. ^ a b c d e f g h i j 福川 2001, 475頁.
  3. ^ 第74号 昭和20年3月31日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120937900 
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」163頁。
  5. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。 ISBN 4829500026 



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