洛中占拠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 08:07 UTC 版)
正平10年/文和4年(1355年)になると、直常は山名時氏らとともに直義の甥で養子の足利直冬を擁立して、反幕府武将や南朝勢力である越後国の南朝方をまとめていた新田義宗らと結び京都に進攻しようとしていた。12月に真冬の越前を越えて山城国に入り如意嶽に陣して山崎に戦い、東寺などで合戦をした。(東寺合戦)洛中おいて度々攻防が繰り返された。二代将軍足利義詮が近江にのがれて京都に入り洛中を占拠したが、再び勢力を盛り返した義詮に京都より追われた。正平17年/貞治元年(1361年)6月には信濃より越中に至りよしみの兵を集めて加賀の富樫介を攻める。以後も信濃・越中で合戦を続けたが、勢力の衰退は避けられず、鎌倉へ下向して鎌倉公方足利基氏の保護を受けた。
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