法輪寺 (姫路市)とは? わかりやすく解説

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法輪寺 (姫路市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/08 08:03 UTC 版)

法輪寺
門前に「湯沢山茶くれん寺」の石碑が見える
所在地 兵庫県姫路市井ノ口82番地
位置 北緯34度49分23秒 東経134度39分43秒 / 北緯34.82306度 東経134.66194度 / 34.82306; 134.66194
山号 佛日山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 薬師如来
別称 湯沢山茶くれん寺
札所等 飾磨西国三十三箇所第7番札所
法人番号 1140005014146
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佛日山法輪寺(ほうりんじ)は、兵庫県姫路市井ノ口にある臨済宗妙心寺派寺院。本尊は薬師如来豊臣秀吉にまつわる伝承から「湯沢山茶くれん寺」の通称を持つ。

概要

平安時代からの由緒を持つ古寺と伝えられる。天福元年(1233年)の頃は天台宗で、海石山晦運寺と号した。南北朝時代に入ると播磨国守護の赤松則祐が雪渓禅師を招いて寺号を宝林寺と改め、また宗派も禅宗とした。以後は赤松氏、また後に英賀城に拠る三木氏の崇敬を受けた。

天正8年(1580年)、英賀城攻めに際して当寺に立ち寄った豊臣秀吉から「湯沢山茶くれん寺」との称号と寺領9石を与えられたという(後述)。この頃、寺号を佛日山法輪寺と改めている。

慶長6年(1601年)には、姫路城主となった池田輝政から寺領9石を与えられた。また慶安2年(1649年)には第3代将軍徳川家光からも朱印状を受け、以後9度にわたり朱印状を受けている。『播磨鑑』によると東西60、南北205間を有するなど、江戸時代には広大な寺領を誇ったが、明治時代にその多くを失い、現在は小さな寺である。

昭和49年(1974年)に庫裡と書院を修築、平成4年(1992年)には2年がかりの本堂修復を終え、落慶法要が営まれた。

御詠歌:ありがたや 流れも清き荒川の 恵もふかき法の輪の寺

湯沢山茶くれん寺

英賀城攻めを前に秀吉が立ち寄る、との報を受け、宝林寺では鑵子(茶釜)一杯に湯をたぎらせ、また雑兵が手を付けないようにと鑵子に蓋をくくりつけて、秀吉一行の来訪を待っていた。

そこへ雑兵数人のみを連れた軽装の秀吉が現れ、茶を所望する。住職は秀吉と気付かず、まず白湯を出したところ、「その鑵子の茶が欲しい」と言われた。傍に居た庄屋が「これは秀吉公に差し上げる茶なので、どうしても差し上げられません」と断ると、秀吉は呵呵大笑し「我こそ秀吉である」と名乗った。住職も庄屋も仰天し平伏した。

秀吉は戯れに「今後は『湯沢山茶くれん寺』と名乗るがよい」と言い、9石9斗9升9合の朱印状を与えたと伝えられる。

現在も境内に残るカヤの木は、秀吉来訪を記念して山主が植えたという。

周辺

アクセス

  • 神姫バス
    • 姫路駅北口から39・41系統 県商前行き乗車 農協前下車、北へ200m
    • 姫路駅北口から29・32・33系統乗車 西町坪下車、北へ500m
    • 姫路駅南口から67・68・69・83系統乗車 西町坪下車、北へ500m
  • 兵庫県道414号田寺今在家線から西へ50m入る

関連項目

  • 浄土院 (京都市上京区) - 法輪寺と同じく、秀吉に因む「湯沢山茶くれん寺」の通称を持つが、伝承の内容は異なる。

外部リンク




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